え、瀬々敬久って、こんなウェットな映画を撮ることがあるのかよ、と驚いた。横浜流星の主人公が身を寄せる片岡鶴太郎の経営するボクシングジムには、「チャンプを目指すな、人生を学べ」という標語が掲げられていたりして、とても求道的であることを含めて、王道を行くボクシング映画。プロボクサーは、常に生命の危険とか怪我と隣り合わせのような闘いをして、物質的にはさして恵まれるところがなく、現役生活は数年からせいぜい十数年で、その後には、長くて平凡な日常生活を生きなければならず、そこではボクシング界のキャリアが役立つわけではないーそういう、ふつうに出てくる話が、ていねいに、折り目正しく描かれていた。元プロボクサーで、一度挫折した横浜流星をコーチしてタイトルマッチ出場に導く佐藤浩市は、東京国際映画祭四冠の名画「雪に願うこと」（２００６）のばんえい競馬の厩舎経営者を思い出させた。

１９６７年製作の映画だから、約６０年前。東京、葛飾区葛西の、鋳物や金属機械の製造会社での長期間にわたる労働組合の闘争を描いている。今では、製造業自体が、日本では衰退してしまったし、生産拠点の海外移転もすすんでいるので、こういう工場の風景もめずらしくなった。クレーン作業中の事故で死んだ少年労働者に会社が５万円の見舞金しか払わない、というのは１９６０年代でも労災保険はあっただろうから、これはないんじゃないかとか、労働者が労働組合の結成を秘密裏に行い、ある日、突然組合結成を宣言して、同時にストライキに入るようなシーンもあって、労働組合の結成自体は、会社側に結成を通告すればいいので、戦前ではあるまいし、ここまで秘密にしなくてもいいのではないか、組合結成からストライキに至る経過がはしょられているのだろうとなどと思ったのだが、全編２時間３０分近い長大な映画の全体としては、見る価値があったと思った。杉村春子、志村喬、宇野重吉、花沢徳衛、河野秋武など、数え切れないくらいの当時の、あるいは前田吟など将来の有名俳優が出演している。多数の労働者がエキストラとして参加した数千人の支援集会のシーンなどモノクロの迫力ある映像で労働者の連帯とか団結を描いていて、もはや「労働争議」などというものがめったになくなってしまった今日からみて、ノスタルジックかつ感動的であったと感じられた。

まだ13歳のシャルロット・ゲンスブールは、顔立ちは、あごが長くて、絶世の美女というわけではないが、手足が長くて、スタイルが良くて、すっきりと清潔感がある。映画のヒロイン、シャルロットは、母がいない、金持ちではない町工場の娘で、勉強も体操も音楽も得意なわけではなく、とくに取り柄というものがない。この映画は、少女から大人の女になろうとする思春期の輝かしさ、はかなさと、行きずりの、船員と自称する男について行ってしまうような危うさを、景色の良いフランス東部サヴォワ湖畔の町のひと夏の中に描いている。そこに、大人の世界に厳然として存在する階級的な断絶をも感じさせる。ヌーベルバーグ調の自由さとカジュアルさが楽しい映画だった。そんな中で、シャルロットに、ナンパした男に対して「働く男の人の手って好きよ」などと言わせるところがフランス映画らしい。

「南総里見八犬伝」を執筆する滝沢馬琴と、彼の家に居候して挿絵を描いた葛飾北斎のエピソードと、書かれた「八犬伝」の話とが交互に登場する。個人的には、少年の日に、児童向けに翻案された八犬伝を読んだことがあって、おおよその筋書きを知っていたので、「八犬伝」の話の部分を理解できたが、ごく一部のエピソードを断片的に挿入しただけなので、元の話を全く知らないと、理解ができず､飽きてしまうのではないかと思われた。馬琴の伝記部分は、武家出身で、まじめ一方、努力型で、知識も広く、中国古典伝奇小説「水滸伝」にインスピレーションを得て、儒教の教え「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」を取り入れた物語を、数十年にわたり、生活苦と期待した男子を失うという不幸に堪えて書き続ける馬琴の姿を、天才肌の天衣無縫の酒飲みで、突然現れては馬琴の家族に迷惑がられる北斎との対比において描いたところは興味深いものの、いささか決まりきったものだと感じた。そういうことで、２時間３０分ほどの長い映画ながら、八犬伝部分も伝記部分も、どちらも中途半端な感じがしてしまった。それに製作費が乏しかったせいか、八犬伝なら欠かせない、合戦部分、アクション部分が、そうとうショボいと感じた。なお、馬琴と北斎は、親交があり、短期間北斎が馬琴の家に同居していたことはあるようだが、八犬伝の挿絵を描いたことはなかったようだ。